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アシュタンガヨギーみんなのバイブル。フルプライマリーシリーズのアサナの写真と解説が詳細で、練習に行き詰まると開く本。
スーパーモデルのクリスティー・ターリントンもアシュタンガヨギー。ゴヴィンダ先生も彼女に教えていたらしい!この本にもゴヴィンダ先生が登場。
これからアシュタンガヨガを始めようとしている人やビギナーにオススメ。
「ヨガはトレーニングではなく、生き方です。」の言葉がすべてを物語っている。ヨガを通したライフスタイルや考え方が、分かりやすい言葉で書かれている。
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三大名スピーチ
昨日見た、東京造形大学の入学式での学長のスピーチがとてもすばらしかったです。

私にとって、心に響くポイントは2つありました。

1つは「経験という牢屋」に囚われず、「普通はそんなことはしない」ことを疑い、自由への探求を始めようということ。

2つ目は、社会に関わるということは、広大な世界に想像力をめぐらせながら、小さなことも周りに作用しているということを知り、働きかけていくこと。

私はもはや新入生でも新入社員でもなくて、結構いい年で、社会に出て色んな荒波にも揉まれてきたけど、やっぱりこういう気持ちで社会と関わることを忘れたくない、と思わせてくれる名スピーチでした。とても励まされました。

あと、このスピーチは、日本人ってあまりいいスピーチをする人がいない、と思っていた私の思い込みも覆してくれました。こんな風に世界と関わることを勧めてくれる人が、日本の教育者にいることも、なんだか勝手にうれしくなりました。


ちなみに、私の中の三大名スピーチは今回紹介したものと、スティーブ・ジョブズのスタンフォード大学の卒業式のスピーチと、村上春樹のエルサレム賞受賞のスピーチです。

ジョブズのスピーチは前にこのブログでも取り上げたことがあるし、動画でも見られます。よく考えたら、前にブログで紹介した時はジョブズもまだ存命だったけど、今はもうこの世にいないんだなと思うと悲しいけど、改めてすばらしいメッセージを残してくれてありがとう、と手を合わせたくなります。

村上春樹のエルサレム賞のスピーチは、この世に出ていく若者に向けたものではないのだけど、大人でも若者でも、一個人という弱い立場の人間に、勇気をくれるものだと思いました。小説を読んだことがある人なら分かると思うけど、隠喩に「壁」を使うところもまた、村上春樹らしくていいなと。(まったく関係ないけど、もうすぐ発売される新刊も楽しみ)


名スピーチを聞いていると、私ももっと好きなようにがんばろう、という気になります。誰にとっても春はそんな季節なのかもしれないですね。



| ココロに残る言葉 | 12:31 | comments(4) | trackbacks(0) |

あかるいきもち

Twitterで見かけたムーミンの何気ない言葉に心をわし掴みにされた。

「どうかあの人が、あかるいきもちでいますように」

入院して手術しても、仕事でヒドい目に遭ったとしても、体が痛くて思うようにヨガできなくても、その人があかるいきもちでいられたらそれでいいよね。

一般的にはそれが「幸せ」とか「充実」とか「健康」とか「平和」とか、そういう言葉になるのかもしれないけど、「あかるいきもち」という言葉はすべてを満たしてるなと思った。

Twitterでフォローしてる人で、一度も会ったことない全然知らない人だけど、なぜだか妙に気になる人が二人いる。どちらも気持ちが低空飛行になりがちな人なので、勝手に放っておけないような気持ちになって、tweetを見ては大丈夫かしらと心配したり、たまに声を掛けてみたり。あの二人も、あかるいきもちでいるといいなと思う。

それから、ちょうど7年前の今日を最後にずっと会ってないあの人も、今はどうしているのやら。でもやっぱり、あかるいきもちでいるといいなと思う。

もちろん私の周りの愛するみなさまも、あかるいきもちでいますように。

今日のブログがおセンチなのは、全部今夜が満月のせいです。


| ココロに残る言葉 | 20:26 | comments(4) | trackbacks(0) |

元気だったらそれでいい!

先日、私が寄稿しているgreenzというWebマガジン(右のバナーです)に、上関原発に反対する若者のハンストの記事が載っていた。

ハンガーストライキは、ガンジーもやっていた非暴力で自分の主張を訴える究極の手段だと思うけど、ハンストをやっている人の意識や、そこに至る経緯によっては、それすらも脅迫的な精神的暴力なんじゃないか、という意見もあったりして、greenzの記事も物議を醸していた。

たまたま、そのハンストをやっている20歳の若者のお母さんのブログを見る機会があって、その内容がすばらしくて、久しぶりに心打たれて涙しました。

多分、この世のすべてのお母さんが持っているだろう気持ちを、ここまで正直に表現できる人はなかなか少ないかもしれない。息子に対する深い愛情と信頼、それに「元気だったらそれでいい!」と言えるだけの強さがある、本当に素敵なお母さんです。

あまりに感動したので紹介してみました。

息子は二十歳 [ほほえんで いこ〜♪]


| ココロに残る言葉 | 12:12 | comments(0) | trackbacks(0) |

もし僕らのことばがウィスキーであったなら
一昨日のエントリー「ヤマ・ニヤマのプラクティス」から、コメントやTwitterなどで反応をいただいて、そのコメントに触発されてまた思うことをブログに書き、まるで色んな人との往復書簡みたいです。

昨日いただいたコメントで、村上春樹がシングルモルトウィスキーで有名なアイラ島を訪れて書いたエッセイ『もし僕らのことばがウィスキーであったなら 』を思い出しました。

もし僕らのことばがウィスキーであったなら、もちろん、これほど苦労することもなかったはずだ。僕は黙ってグラスを差し出し、あなたはそれを受け取って静かに喉に送り込む、それだけですんだはずだ。とてもシンプルで、とても親密で、とても正確だ。しかし残念ながら、僕らはことばがことばであり、ことばでしかない世界に住んでいる。僕らはすべてのものごとを、何かべつの素面(しらふ)のものに置き換えて語り、その限定性の中で生きていくしかない。でも例外的に、ほんのわずかな幸福な瞬間に、僕らのことばはほんとうにウィスキーになることがある。そして僕らはーーー少なくとも僕はということだけれどーーーいつもそのような瞬間を夢見て生きているのだ。もし僕らのことばがウィスキーであったなら、と。

うれしい、悲しい、悔しい、気持ちが表情や態度に出ていれば、別にどんな国の人でも分かります。でも、そういう分かりやすい感情が表に出ていなくても、言葉無しでお互いが通じ合うためには、お互いをよく知らないと難しいと思うのです。

お互いをよく知るためには、やっぱり言葉を尽くして、語り合って、上手じゃなくても不器用でもいいから、とにかく伝えたい・分かりたいという気持ちがあって、初めて深く知ることができるんじゃないかと思います。

その上で、言葉が無くても伝わる瞬間があったら素敵だなと、私も村上春樹みたいに夢見てます。だから、その前にできる限り言葉で伝えたいと思うのかもしれない。

そういえば、去年の4月に書いた「不立文字」というエントリーも同じようなことを書いてます。なんだか同じようなことばかり考えてますね(笑)

※↓一応本のリンクを付けてますが、上の文章は前書きに出てくるだけです。この本自体はウィスキーの蒸溜所を巡る紀行エッセイなので、ウィスキーか村上春樹好きの人以外はそんなに面白くないと思います。


| ココロに残る言葉 | 16:05 | comments(2) | trackbacks(0) |

成人の日
二十歳の頃は一体何を考えて生きていたんだろう。
横浜に住んで、大学生をしていて、いつも友だちが家に来るか、友だちの家にいるかで、横浜ルミネの靴屋さんでバイトしてた。

あの頃から、すごく変わったような気もするし、何も変わっていないような気もする。(外見以外はね!)

成人の日
            谷川俊太郎

人間とは常に人間になりつつある存在だ
かつて教えられたその言葉が
しこりのように胸の奥に残っている
成人とは人に成ること もしそうなら
私たちはみな日々成人の日を生きている
完全な人間はどこにもいない
人間とは何かを知りつくしている者もいない
だからみな問いかけるのだ
人間とはいったい何かを
そしてみな答えているのだ その問いに
毎日のささやかな行動で

人は人を傷つける 人は人を慰める
人は人を怖れ 人は人を求める
子供とおとなの区別がどこにあるのか
子供は生まれ出たそのときから小さなおとな
おとなは一生小さな子ども
どんな美しい記念の晴れ着も
どんな華やかなお祝いの花束も
それだけではきみをおとなにはしてくれない
他人のうちに自分と同じ美しさをみとめ
自分のうちに他人と同じ醜さをみとめ
でき上がったどんな権威にもしばられず
流れ動く多数の意見にまどわされず
とらわれぬ子どもの魂で
いまあるものを組み直しつくりかえる
それこそがおとなの始まり
永遠に終わらないおとなへの出発点
人間が人間になりつづけるための
苦しみと喜びの方法論


| ココロに残る言葉 | 17:28 | comments(0) | trackbacks(0) |

ネアカ、のびのび、へこたれず
ネアカ、のびのび、へこたれず
これはダイエーの創業者だった中内功さんの座右の銘です。

私が最後に勤めた会社は、ダイエーからソフトバンクが買収した直後のホークスという野球チームでした。だから、私はダイエーの社員だったことは一度もないのだけど、会社の中にはダイエー時代からずっと働いている人が半分以上いました。

その会社に勤めている間に、過労でうつ病になってしまい、半年ほど休職することになりました。病名をオープンにしていなくても、そういうことは何となく伝わるものだし、私はその前にも何度かうつ病になったこともあって、もうこれ以上隠しているのはしんどいなと思っていたので、特にひた隠しにもしていませんでした。

当時の時代の流れ的にも、うつ病は特別な病気ではないという認識が広まりつつあったけど、それでもやっぱり休職明けに復職する時には「周りの人はどんな風に思うんだろう?」と気になりました。それに、半年も仕事を休んでいたので、前と同じように自分が働けるかどうかという不安や心配もありました。

実際に会社に復職した初日、予想通り腫れ物に触るように様子をうかがいながら接してくる人がほとんどでした。もちろん、本当にどう接していいのか分からない、へたなことを言って病状を悪くしやしないかと思えばこそ、そういう対応になるのはよく分かります。多分私が逆の立場でも、そういう風に接したと思います。それが普通の会社員の思いやりと気遣いでしょう。

そんな中で、ダイエーから勤めている社員の方で、それまではあまり仕事でも関わったことのなかった人が、笑顔で「会社に出てこれたんだね、よかったね」と声を掛けてくれて、それが心が溶けそうなほどうれしかったです。

その後もダイエー時代から働いている人は、同じような対応をしてくださる方が多かったです。そして、ある人にダイエーの中内さんの座右の銘で「ネアカ、のびのび、へこたれず」という言葉があるんだよ、と教えてもらいました。

当時の会社は野球チームということもあり、仕事で勝ったり負けたりすることは日常です。全部の試合に勝つことは現実的にあり得ません。野球というスポーツであり勝負事だから、そんなことは当たり前だし、誰もが納得するところだったけど、それはどんな仕事でも人生でも同じだろうと思います。

いつから「負けること」「失敗すること」自体が、こんなにダメなことだと思われるようになってしまったんだろう?負けることよりも、なぜ負けたかを反省して、また次勝てるようにするのがいいということは、みんな頭では分かっているはずなのに、実際の社会ではそうでないことが多いような気がします。

復職後の1年間は、自分の思い通りにならないこと、辛くて嫌なこともたくさんあったけど、最後までへこたれずにいられたのはこの言葉のお陰もあるかなと思います。

その間にアシュタンガヨガを始めて、アシュタンガヨガでもできないことばかりで落ち込んだり嫌になったりすることがあったけど、何とかここまで続けてきたのは、好きだという気持ちと、このへこたれない精神があったからかもしれない。

「弱い自分を受け入れる」とか「できないことがあっても大丈夫」とか、言いたいことは同じでも何となく耳障りのいい言葉より、私は「ネアカ、のびのび、へこたれず」という言葉の持つ、ちょっと無骨だけど前向きな感じが好きです。田舎のおじいちゃんとかおばあちゃんから、今の子どもまで、誰にでも通用しそうな感じがいい。

ヨガでも、仕事でも、英語でも、最初から何でも上手に華麗にできないだたの凡人だからこそ、この言葉が心に響いたんだと思います。

なぜだか分からないけど、今日は朝からこの言葉が頭に浮かんで離れなかったので、紹介してみました。



| ココロに残る言葉 | 10:59 | comments(14) | trackbacks(0) |

バランスが一番


今日Twitterを見ていたら、「弱さ」とは何でしょう?という質問にオノ・ヨーコさんが答えていた。
「弱さ」とは
生きているものはみんな持っているものです。お互いに同情し合ったり、分かち合ったりできるのも、そのためなのですから、ただ強いよりよっぽどありがたいことなのです。弱さの美しさを知りましょう。
さすがオノ・ヨーコ。答えがどこまでもピースで愛に満ちている。そして「弱さ」を讃えるあなたの「強さ」もまた優しくて美しい。

最近のTwitterではいい言葉にめぐり会うことが多くて、このインド人の言葉にもハッとさせられた。
日本の親は「人に迷惑かけちゃダメですよ」と教えるが、インドでは「お前は人に迷惑かけて生きているのだから、人のことも許してあげなさい」と教えるそう。
こういうことを言われて育った人って、今の日本人には多いのかも。私もかなりそういうことを言われて育ったので、人には迷惑をかけちゃいけないと強く思っていたし、迷惑をかけてしまった後は、自分を責めたりひどく落ち込んだりしていた。

でも、インド人の言う通り、人に迷惑をかけずに生きるなんて所詮は無理な話。だから、この言葉を聞いた時は「あぁ、インド人の寛容さはすばらしいな」と思った。

だけど、よくよく考えると「人に迷惑をかけない」というのも本当は大切な教えで、日本の親は他人に対する「思いやり」を教えてるのよね。その教えがちゃんと行き届いているから、外国に行ったり異国の人と接した後は、日本人って謙虚で優しいなぁと思うもの。

逆に、最近読んだ『ムンバイなう。 』というインド旅行記(かなりオモロい)では、インド人って人に迷惑かけるの何とも思ってないでしょ!と思うようなエピソードばかりだった。他人事だから面白かったけど、あまりにも度を超えてると、これは我慢できないかもと思うし。

結局、どっちが良くてどっちが悪いという話じゃないんだよね。

アシュタンガヨガだって、基本的には「ほぼ毎朝」「空腹の状態で」「決まった順番で」「もらってるアーサナまで」練習をするもの、なんて一応厳密には決まっている。

もちろん、それを守ろうと努力することもまたヨガの練習だったりする訳だけど、それを守れなかった時に日本人は自分を責める人が多いのかなと思う。自分を責めないためには厳格に守るしかないから、ガチガチで練習する人が多いのかもしれない。(アシュタンガにハマってすぐの頃とか特に)

昔、ケン先生に「厳格に守らなきゃいけない部分」と「どっちでもいいよという部分」、アシュタンガヨガにはどちらもあるから、その矛盾を受け入れるのがヨガだよと言われたことがある。最初は「何それ?逃げじゃないの??」と思ったけど、今はその言葉の意味がちょっとは分かるようになってきたかな〜。

「強さ」も「弱さ」も、「思いやり」も「寛容さ」も、「厳格さ」も「ゆるさ」も、その間にある矛盾も全部受け入れて、バランスよく生きるのが一番ということなんだろうね。ちなみにケン先生は、両極端を知らないことには真ん中は見つけられないとも言ってた。深いな〜。

という訳で、自分に厳しくし過ぎた反動で、最近は自分にゆるくなりがちなので、インド人みたいにならないように気をつけようと思いました。ナマステ☆


| ココロに残る言葉 | 19:01 | comments(4) | trackbacks(0) |

普遍ということ
* 現状を変える一発逆転があると思うかもしれないけど、どうやら近道はないみたいです。
* 毎日少しずつ、少しずつ努力を積み重ねるしかない。まったく。
* 毎日努力している人にはどんな天才も絶対に及ばない。断言していいです。
* 大事なのは毎日(毎日じゃなくてもいいんだけど、常日頃)続けること。
* とにかく結果を焦らない。落ち着けって。
* 今日の努力が実を結ぶのは、だいたい1年後。のんびり行くしかないですよ。

「うんうん、これアシュタンガヨガのことよね」と思ってしまいそうだけど、実はそうじゃない。先ほど見つけた「1ヶ月間だけ、思い切りがんばれば。」という、とあるブログのエントリーの一部。

アシュタンガヨガに通じるものあり、うつ病の人とかメンタル系でお悩みの人によさそうだなと思うものあり、結局いい生き方というのはこういうことなのかもしれないなと思った。

いわゆる自己啓発系と言ってしまえばそれまでだけど、列挙してるポイントと、言葉の使い方が絶妙で好き。素直に、いいこと書いてあるなぁと思う。

このエントリーが2008年1月にポストされたものだと知って、それにも驚いた。良いものは結局ちゃんと残って伝わっていくものなのね。普遍ってこういうことか。

| ココロに残る言葉 | 14:28 | comments(4) | trackbacks(0) |

Stay hungry. Stay foolish.
昨日はUNIVAのみんなに “行ってらっしゃい会” をしてもらいました。

オーナーからの贈る言葉は

君、いつの間にジャンプスルーできるようになったの?
こないだ朝ヨガで見てビックリしたよ

でした。一体いつの話をしているのやら、こっちの方がビックリしました。

私、こう見えても意外と練習してるんですよ

と言っておきました。

冗談はさておき(事実ですけど)、本当の贈る言葉は

最近いい感じのオーラが出てきたから、そのまま行って
みんなにもいい影響を与えられるような人になってくださいね

というようなお言葉でした。ありがとうございます。


ユ、ユリちゃんが…


今回UNIVAを卒業するということで、アップルのCEO・スティーブ・ジョブズのスタンフォード大卒業式での名スピーチから、私の大好きな言葉をひとつ、自分とこのブログを読んでくださっているみなさまに贈ります。


…とその前に、事前知識として「Whole Earth Catalogue」という1960〜70年代に刊行されていた雑誌について少しご説明を。

「Whole Earth Catalogue」は、スチュアート・ブランドというすばらしい編集者と編集チームが、この世のあらゆる物の中から選りすぐったアイテムだけを載せていた伝説的な雑誌で、今でいうセレクトショップの雑誌版という感じでしょうか。しかも、その情報量や載せている物の種類が膨大で、ジョブズは以下のスピーチの中で「Googleのペーパーバック版とも言うべきもの」と称しています。

ジョブズはこの「Whole Earth Catalogue」にかなり影響を受けており、スタンフォード大のスピーチの最後の言葉もこの雑誌から引用しました。以下、ジョブズのスピーチの最後の部分です。(ちなみにこの辺りの内容は、昔greenzに記事を書いたのでよかったらどうぞ)

Whole Earth Catalogue最終号の背表紙には、まだ朝早い田舎道の写真がありました。君が冒険の好きなタイプならヒッチハイクの途上で一度は出会う、そんな田舎道の写真です。写真の下にはこんな言葉が書かれていました。

Stay hungry. Stay foolish.
(ハングリーであれ。馬鹿であれ。)

それが断筆する彼らが最後に残した、お別れのメッセージでした。
それからというもの、私は常に自分自身そうありたいと願い続けてきました。そして今、卒業して新たな人生に踏み出す君たちに、それを願って止みません。

photo by Whole Earth Catalogue


私が3カ月NYに行くと言うと、「その先にビジョンはあるのか?」と時々聞かれます。特に社会的に責任ある立場の男の人によく聞かれます。

さすがに結構いい歳なので、10〜20代の人のようにすべてを捨ててパーッと飛び出すようなことはできません。でも、だからと言って世間体や不安や自信のなさに負けて、みんなが安全だと言う道を行くのは、自分には向いていないこともよーく分かりました。

なので、リスクを取りながらも、自分なりにリスクヘッジをして行くつもりです。今までバランスを取らずに極端に走って失敗することも多々あったので。。。

そして、時々はこの言葉を思い出して、自分を励ましたり奮い立たせたりしています。

Stay hungry. Stay foolish.

3カ月で自分がどこまでできるのか、今からとても楽しみです。

よかったらジョブズの名スピーチもどうぞ。
少し長いけど本当にすばらしいスピーチです。




| ココロに残る言葉 | 16:35 | comments(2) | trackbacks(0) |

平気で生きる
自然は 立派やね
自然の法則をまねて 人間が暮らす
時が来たならば ちゃんと花が咲き
そして黙って
褒められても褒められんでも
すべきことをして黙って去って行く
そういうのが
実行であり
教えであり
真理だ
今朝これを初めて見てから、禅師の教えと語り口に深く静かに感動して、3回も続けて見てしまった。

ヨガと禅はルーツが同じこともあり、やはり通じるものがある。
でも、感動の理由はそれじゃない。

途方もない長い時間、ただ実行をしてきたという事実に感動したのだと思う。
結局、禅師自体が「自然」になっていたから、大いなる自然を目の当たりにした時のような感動を覚えたのだろう。
| ココロに残る言葉 | 11:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
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